こちらの撮影スタイリングは 「waful(わふる)」 で行った撮影コーディネート。
私たちが着物を着る時、帯は背中で結びますよね。時代劇をみても帯の結びは後ろにあります。
このコーディネートをみて思い出すのは花魁。花魁は大ききな帯を前に結んで華やかな姿で登場します。
どうして、花魁だけが前に帯を結ぶのでしょう?
花魁以外にも、帯を前に結ぶ場合はあるのでしょうか?
歌舞伎で、登場人物の衣装をよく見ていると
帯を前で結んだ女性が、時々出てきます。
これは歌舞伎の老婆の前結びで手が背中に回らないのでやむなく、前で結んでいる・・
という姿で、年老いた女性を表現しています。
実は江戸時代は、花魁以外にも、帯を前に結ぶことがあったのです。
そもそも、桃山時代くらいまでは帯は紐のようなもの、あるいは、帯状でも幅の細いものでした。
現代のベルトのイメージです。
そのため、帯結びに凝る必要がなく着物を縛って止めるためだけに気軽に身体の前で結んでいたようですね。
江戸時代に入ると、帯は、着物コーディネートの重要なパーツの一つになりました。
そのため帯の幅はどんどん太くなり、綺麗な柄が織りだされたというわけです。
では、お着物を着られたことのある女性なら想像できると思いますが、身体の前に大きな飾りがついていればご飯を食べるにも、何をするにも、手の動きが制限されることが想像できますよね。
つまり身体の動きが制限されないように、帯を結ぶ位置は後ろに変化していったのです。
花魁の帯の位置が前のまま残った訳は、職業柄、「帯を解きやすく」という演出も重視されたでしょう。京都・島原の太夫も、帯を大きく前に結んでいました。その、結び方は独特で、『心』という字を表していると言われます。「心はしっかり結んで、簡単には乱れない」という花魁ならではの誇りが帯の結び方に込められているのです。
現代では前で結ぶ帯は旅館の浴衣の帯ぐらいですよね。後ろに結ぶと寝ずらいですしね。
着物のコーディネートの歴史を見ると 伝統と言うより 基本的には時代時代での流行りや生活に密着して変化していったものが多いのです。
フォーマルな場では難しいコーディネートでもお着物の撮影やお出掛けには、遊びあるコーディネートも素敵です。